1957年 |
東京都江東区所在の運送会社に入社。大手化学メーカー(日本化学工業、日東化学、
東京日産化学等)の化学品及び産業廃棄物の運搬に管理職として従事、薬品流出事故等
の実体験をする。また、産業廃棄物による土壌汚染の実態を見聞する等、化学品取り扱い
の知識を得る。
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1972年
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1971年12月の臨時国会(当時、公害国会と言われた)で法制化された「廃掃法」がビジネ ス
チャンスになると考え、独立を決意。資本金300万円で関東企業株式会社設立。
代表取締役に就任。
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1973年
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1972年、東京都庁に設置された「清掃局廃棄物対策準備室」に日本で最初の処理業許可
取得を目指し、個人名で申請書提出。1973年3月、汚泥を含む処理業者(収集運搬業)と
して日本で最初の許可業者となる。
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1974年
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化学廃液(廃酸、廃アルカリ)の中間処理業進出を目的として、東京環境サービス株式
会社を設立。代表取締役に就任。
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1976年
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4月 産業廃棄物処理業(収集運搬)専門子会社として総武環境整備鰍設立。
5月 東京都江戸川区に東京環境サービス鞄結檮H場が完成。東京都より許可取得。
この工場は、廃酸、廃アルカリ等の化学処理施設としては日本で最初の中間処理施設と
なる。
10月 計量証明事業を目的として轄]戸川分析研究所を設立。代表取締役に就任。
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1977年
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東京都より、轄]戸川分析研究所が計量証明事業登録許可(環境分析)を受ける。
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1981年
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東京環境サービス叶口工場(敷地1,600坪)が完成。埼玉県より「有害な廃酸、
廃アルカリ、汚泥の無公害化処理施設」として許可を取得する。
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1982年
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東京環境サービス鞄結檮H場内にシアン処理プラント完成。東京都より中間処理施設と
して許可を取得する。
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1987年
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関東企業梶A東京環境サービス鰍フ両社を合併し日本ケミテック鰍ニ改め、資本金
2億8,000万円で発足、代表取締役に就任。
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1992年
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日本ケミテック鰍「わき工場第一期工事が完成、電子部品製造工場としてスタート。
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1995年
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日本ケミテック鰍フ資本金を6億3,068万円に増資する。
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2003年
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日本ケミテック鰍フ代表取締役及びグループ会社の取締役を退任。日本ケミテック
顧問に就任。
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2004年
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3月 日本ケミテック褐レ問退任。
4月「静脈専門商社」のビジネスモデル構築を目指し、樺ゥ日エコテック代表取締役に
就任。
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2008年
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鹿島選鉱渇c業顧問(非常勤)に就任。
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